日々を味わう。

日々の記録と、食べたごはんと、好きなお菓子と、気に入った言葉と、聴いていた音楽を記録する場所です。ときどき豆柴。柔らかな日々を。

香りと思い出にまつわるエトセトラ

1.

 
カネボウの化粧品をあまり手に取ったことが無かったが、@cosmeストアで気になり化粧水を購入し使ってみたところ、祖母の鏡台と同じ香りがした。
 
いつもお洒落で身なりを気にしている祖母のことが大好きだった。祖母の鏡台には決して新しくは無いが状態の良い化粧品が整頓されて置いてある。小さい頃に何度もイタズラで使ってしまったことがあるが、怒られたことは一度もない。祖母がカネボウの化粧品を使っていたのか、この香りがあの時のものと本当に同じものかは不確かだが、ペタペタと顔につけた化粧水から、優しい祖母を思い出すことができた。
 
2.

 
私の母も父が亡くなってからは毎日仕事に出ていた為、身だしなみをしっかりとした綺麗な人である。しかし祖母とは違い、私にとって「綺麗にしている母」は「私の元から居なくなってしまう母」なので、使っていた香水の香りも、化粧棚に並ぶ化粧品の香りも、大嫌いだった。母が居なくならないように、化粧品を隠したこともある。
 
大人になってからは、3人の子供を1人で育てる中でも綺麗でいた母の凄さについて身に沁みて感じているし、そんな母を誇りに思っている。母になってもネイルや香水を楽しめる人間に私もなりたいと思っているけれど、あの時、家を出ていく母がしていた香水の香りは、未だに得意になれない。
 
3.

 
小学生の高学年くらいだったと思う。ある日、兄が大量の古着を持って帰ってきた。友人のお下がりだそう。ほほーと思って覗き込んだ袋から良い香りがした。後日、香りの本人が家にやってきた時「服の人だ!」とすぐにわかった。思えばその時にはもう好きだったのだと思う。
 
別の日、学校から帰ってきて兄の部屋に入るなり「今日あの人来てたんだ」と香りで気づいた。それからその香水のことがずっと好きで、自分が大学生になってもずっと使っていて、眠れない日には布団にかけると良く眠れた。
 
4.

 
あの頃と今じゃ気持ちが変わっていても、香りに結びついた感情は変わらないままそこにある。もっともっと大きな衝撃があったら変わっていたのだろうか。大好きだった人を大嫌いになったら、大好きだった香りのことも嫌いになってしまうのだろうか。今の私にはまだその感情はわからない。
 
好きだった香りを嫌いになった経験もなけりゃ、裏切られた時の許し方も知らない。少しでも嫌になったら逃げれば良かったし、逃げたら無いものと一緒で、見えなくなったらすぐに忘れてしまっていたけれど。
 
大人ってやつは厄介で、どんなに嫌なことがあっても、傷つけられても、嫌になったからもういいや、って簡単に逃げられないんだなぁってことに、本当に今更ながら気づいてしまって、ああどうしよう、もしかしたらとんでもないところまで来てしまったのかもしれない、と脂汗をかいている。
 
大切な存在が出来てしまった。ずっとずっと待ち望んでいた大切な存在である。私はこの人間になるべく悲しい思いをさせずになるべく傷つくことなく人生を歩んでほしいと思っている。責任重大である。
 
家族をやっている諸先輩方。長い長い暮らしの中で、なんてことない顔をしていても少なからず傷付いた出来事があったりやしないだろうか。あの人やその人は、傷付いた自分とどう向き合っているんだろう。
 
それでも、誰のためとか彼のためを考えて、とかじゃなくて、自分の感情は自分のもの、親になったって私は私という人間である。ああ大丈夫かな。今はそう思いながら、日々を続けている。
 
 
●今日のご飯
朝:ベースブレッドのチョコ
昼:お菓子つまみ
夜:たまちゃん唐揚げ、サラダ、クラムチャウダー
 
●今日の一曲
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そんなもんなんでしょう
みんなそんなもんなんでしょう
おたがいさま、おかげさま、で
どうにかこうにかやってるんでしょう
 
どうなんでしょう
そういうのどうなんでしょう
見つめすぎず、見せすぎず、って
綺麗なようでつまんないんじゃない

かわいい帝国の責任者として、かわいいを守り続けた4ヶ月の雑記 〜赤ちゃんとシバイヌ〜

1.

 
早いもので、11月に我が子がこの世に誕生してから4ヶ月が過ぎた。
最近のお子は21時頃におやすみなさいをして、0時に寝ながらミルクをあげる(ドリームフィードという技なのだ)と、調子が良いと7時くらいまで寝てくれるようになった。
その為、フルタイムで働いている平日よりも私が寝ているトータル時間が長い日もある。
睡眠に貪欲な私の身体にもお子察知アラートが搭載されたので、子の手足のバッタンバッタン(かわいい)や突然の寝言(かわいい)で起きてしまい細切れにはなってしまうが、11月〜1月辺りと比べると、信じらないくらい生活が穏やかになった。
 
新生児期の我がお子はずっと泣いているタイプだったので、当時は1日1日を生きることが言葉通りに精一杯でもうあまり記憶もないが、3ヶ月くらいから徐々に日々を楽しむ余裕が出てきているように感じる。
本人も訳がわからなそうに泣いて、寝て泣いてミルク飲んでおしっこしてうんちして、をサポートするようなんとか必死に守り抜いてきた。愛おしいけれど、私もどうしたらいいのかわからないまま、宇宙人と突然24時間暮らし始めたみたいで、今振り返ってもあの頃はやっぱり結構怖かった。
新生児を終えると徐々に目が合うことが多くなって、ニコニコするようになって、なんかわからん言葉で一所懸命お喋りするようになって、色んな音にビックリして泣くようになった。宇宙人と過ごしているみたいな日々は、徐々に「楽しい」「いやだ」の意思がなんとなく伝わる生き物との暮らしになってきた。かわいいが溢れていて、すごく楽しい。本当に、すごく楽しい。
 
とは言っても、夫に寝かしつけをお願いして1日の終わりを迎える頃、ドリームフィードまでの数時間が貴重な自分1人の時間なのに、ソファから動けずボーッとして終えてしまう日も多い。
それくらい、赤ちゃんとの生活は単純ながら細かなタスクで埋め尽くされており、言葉にすることが難しいが非常に忙しなく、気力と体力を消耗している。日中にお子の大きな泣き声を沢山聞いた分だけ、私もヘトヘトだ。
それでも、布団に入る時には、また明日お子が起きる音で目を覚まし「おはよう」と言って顔を見る朝が心から楽しみなのだ。毎日それを繰り返している。
 

 
勿論、我が家の長女(柴犬ムー)のかわいいも忘れてはいけない。自分だけのものだった「かわいい」がお子が来てからどんどん取られてしまって、この4ヶ月一番しんどい思いをしているのは間違いなく彼女だ。私の1日は、お子が起きる音で目を覚まし、お子にミルクをあげている間に怒るシバイヌを足で撫で、お子を抱っこしながらシバイヌと散歩に行き、お子がお昼寝をすればカメラで見守りながらシバイヌを庭に出してボールで遊ぶ。そうやってかわいいと向き合っている。我慢させてごめんね。もう少ししたら、きっと友達になれるから。
 
2.

 
4ヶ月になる少し前に卒乳をした。πはあらゆる場面で便利だし、πを飲んでいるお子の姿は史上最強にかわいいので寂しくもあったけれど、完全ミルクになった今、全く後悔していないので、私はこれで良かったと思っている。
 
理由としては大きく2つ。1つ目は完全母乳になれる程πを育てあげるに至らず、混合授乳でπ+ミルクを続けていたが、それもそれで時間が倍かかって大変だったこと。2つ目は母としてπをあげたい自分と、女である自分との精神的なせめぎ合いがややこしくて面倒だったこと。これは本当にただ私の心の問題なので、πをあげていないから母でない訳じゃ当然ないし、πをあげているから女でない訳でも当然ない。私自身が私の為、そして私がこれからも守り続ける家族のことを考えて、自分がご機嫌でいる為には卒乳するのがベストだ、と判断した結果である。それでも、少しの間だったけれど、授乳という経験ができたことも、私の人生においてかけがえのない経験で宝物になった。
そして卒乳を考えた数日後に、お子に歯が生えてきた。3ヶ月とちょっとのことである。だいぶ早いような気がする。歯が痛くて卒乳する方も居ると聞くので、結果的にお子の歯が私の卒乳への後押しをしてくれた。
 
卒乳した結果、精神的にすごく安定したと思う。妊活から数えると4年近く、自分の身体を自分だけのものとして扱えずにいた。4年ぶりに自分の身体が自分のところに帰ってきた、という感覚。かといって別に大した節制をしていた訳でもないので何かが変わる訳ではないのだけれど、久しぶりにブラックコーヒーを飲んだり、ビールを飲んだりして、それだけでうれしい。これからはやってみたかった美容医療とか、久しぶりのシーシャとか、そういうことも出来るなぁって、想像するだけでうれしい。おかえりなさい。おつかれさま。ありがとね。がんばったね。
 
3.

 
お子の100日記念にたまひよの写真スタジオで写真を撮ってもらった。
子供の写真撮影というイベントに参加するのは初めてだったが、カメラマンとお子あやし担当の2人体制で、それはもうプロフェッショナルなあやし技を撮影の間ずーっと続けてくださって、最高の写真が沢山撮れた。プロの仕事術に心から感動した。あのあやし術をフルタイムやり続けていると考えると、私だったら干からびてしんでしまうかもしれない。全てのお子を扱う職業の方に敬意を示したい。
 
お二人のプロフェッショナルな技のおかげで、我がお子がどうやら相当楽しかったようで、その日の夜から声を出して笑い始めた。私はビックリして泣いた。たまひよの皆様、本当にありがとうございます。
 
4.

 
お子が産まれてからの身体の不調。それはあらゆる関節が痛い、という事。腱鞘炎になりかけているし、両手の小指と薬指がばね指になった。夜間授乳の後のゲップチャレンジにスクワット100回というルールを自分に課せていたら、膝も痛くなってきた。こんなことになるもんだから、子育てに若さと体力は圧倒的な武器だと思う。
でも、若けりゃいいってもんじゃないことも確かにある気がする。心の許容量が若い時よりもだいぶ大きい筈だ。いや、もしかしたら気力がないだけかもしれないが、良い部分として捉えておきたい。若い時の私が今の生活をしていたら、もっとイライラしてしまっていたかもしれない。これからもっともっとパワフルな理不尽に遭遇するイベントが増えるだろう。年相応に存分にヘラヘラしていきたい。
 
●今日のご飯
朝:ルヴァンのチョコパン
昼:食べなかった
夜:鯖と茄子のみぞれ煮、アボカドとソーセージのオムレツ、サラダ、味噌汁
 
●今日のパンチライン

喧嘩というのは基本的に社交的な人間がするものでしょう

ー異国日記より まきおちゃん
www.shodensha.co.jp
 

いのち短し 恋せよ乙女

1.

教室の中。通学路。喫茶店。ライブハウス。いつも誰かが彼女のことをこっそり見ていることを私は良く知っていたし、何を隠そういつも私も彼女のことをこっそり見ていた。
細い身体に偏食、人懐こい笑顔に不安定な思考、不思議なことを話したかと思えば人の言葉への理解力が高く、嫌なやつなのに人の心配ばかりしている。それでいて、本人は思ったことを上手く口に出来ないから歌を謡う。
たまに会ったり、会わなくなったり、すごく会ったり、会わなくても思い出したり。学生時代から今も何だかんだと関係が続いているので、彼女の歌は私の生活のとても近くで鳴っているように感じられる。
大人になった今も彼女が歌っていてくれることで、うまく言葉にできないまま過ごしてしまっている日々のアレコレが音楽と共に何かしらの気付きになって自分に返ってくる。そういうエネルギーでまた私は何かしたくなったりするもんだから、音楽を続けていてくれてありがとうと彼女の歌を聴く度に思っている。
 
2.

今も昔も恋愛対象は男性だけれど、人生で一度だけ、ひとりの女性に対して異性を想う時のような感覚になったことがある。
黒髪のショートカット、とても華奢な身体、口にたくさんあいたピアス、細い目の奥に見える表情には寂しさと優しさがあった。ピアスまみれの顔を見るに、順風満帆な人生ではないことは想像に容易いが、その風貌でいて学があり、難しい勉強をしていたし、難しい職についていた。口数は少なくて、何を考えているのかわからない事が多かったけれど、彼女が笑うとうれしくて、まるで周りに華が咲いたように感じられた。彼女の笑顔をなるべくたくさん見たくて、彼女が喜びそうな楽しい話は何かないかな、と次に会うまでの時間でアレコレと考える。
有名な女性ホストが「女性の大半は女性のことを好きになれる。きっかけがないだけ」みたいなことを言っていた気がするが、本当にそうなのかもしれない。
彼女とは今でもたまに、一往復だけのやりとりをすることがある。返事が返ってくると、今日も生きていてくれてうれしいと心から思う。
 
3.

学生時代もブログを書いていたのだが、その読者と実際に友達になったことがある。
きっかけは同じ部活の後輩から「先輩のブログのファンが友達に居て、会いたいそうで。今度一緒にライブに行きませんか?」と言われたこと。
「ブログのファンです」ということばに、こちらがすっかり調子に乗っていたのだが、当日目の前に現れたのは自分とは顔面偏差値が雲泥の差の美少女だった。それはそれは、ちびまる子ちゃんとNANAくらい作画が違っていた。そしてべらぼうに愛想が悪く、上から下まで一瞥されたままプイッとそっぽを向かれてしまった。
仲良くなったのはライブがつまらなくて抜け出した喫煙所に彼女も居たところから。「つまらないよね」で意気投合して、それから何年も良く遊んだ。
彼女とは作画も違えば生きる世界も当然異なり、こちらが平凡な大学生から企業へ就職をしている頃、彼女は麻布や銀座でホステスをしていた。片や勤務先、片やタワーマンションの高層階、たまたま同じ駅でそれが起こって、2人は良くランチをしたり、退勤後に遊びに行ったりした。生きる世界が違う彼女の話はいつもドラマみたいで面白かったけれど、彼女は平凡に生きる私のルートを「それが正しいよ」と肯定してくれた。本音かどうかなんてわからないけれど、遊んでいた2人の時間は確かに本物なので、お互いに何かしら会いたい理由があったのだと思う。
電話番号やLINEは今も知っているけれど、夜職だった彼女がプライベート用とはいえ今も同じ連絡先とは考えづらいように思う。もう2度と会えないかもしれないけれど、今でも好きな友人の1人。
 
4.

花はすぐに枯れるが、乙女の命が短いだなんて、本当はあんまり思いたくないものだ。
彼女の魅力は私の心が良く知っている。花のように、目を惹かれ、甘い香りに誘われて、触れたくなる。
どうか彼女の人生が誰かに愛され続けるものであってほしい。どんなに時間が経とうとも、沢山の人の中でもキラキラとすぐわかる魅力があったことは本物で、生きてきた時間がそれを消してしまう筈がないのだから。
自分自身にもそう言い聞かせているのかもしれない。
 
●今日のご飯
朝:食べなかった
昼:ベローチェのホットドッグ
夜:たまちゃん手づくりカレー
 
●今日の一曲
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我慢する事だけ 覚えなきゃいけないの?
「大人になって頂戴ね?」 ならなくていいよ
知らない事ばかり 知らないなんて言えなくて
「大変お似合いで」 ウソついてゴメンね

新生児と過ごした1ヶ月くらいの備忘録 〜ぴよログを添えて〜

1.

1ヶ月検診を終えた頃、3890gで産まれたお子は4600gまで大きくなった。成長曲線が上限ラインあたりを推移している。逞しくて何より。オムツは新生児用からSサイズにランクアップ。
どこかで「妊婦が甘いものを食べすぎると胎児が大きくなる」という情報を見たような気がする(気がするだけかもしれないので鵜呑みにしないで欲しい)。じゃあ大きく産まれたの私のせいかな、などとたまに思い返す。今、母乳の成分は大丈夫だろうか。今日も抹茶のスコーンを食べてしまった。あ、チョコのついたでっかいマシュマロも。私が小さい頃は大人ってお菓子を食べない生き物だと思っていたのだけれど、貴女の父と母は毎日お菓子を食べているよ。
 
我が子は一緒に過ごし始めたその日から腹ペコさんでよく泣き、夜にガツンと寝て、昼にピカピカ元気である。

新生児は昼夜の区別が無く3時間に1回起きて授乳をするサイクルです、睡眠時間は16時間〜20時間程度です。

と妊娠中に習って散々イメトレしていたのに、初日から何もかもがマニュアルと違った。16時間寝てくれるなんて都市伝説なのでは。出会って間もない頃の私は泣くお子を抱えてホロホロと泣いた。そういうことが色々あったので、忘れないうちに出産後の生活の事を書き留めておこうと思う。

2.
産後はじめての母子同室の話。

お祝膳。2回出て何れもとても豪華だった。うれしい!

出産経験のある諸先輩方から「母子同室推奨でも無視して別室で寝なさい」と教わったので、産後3日目までは新生児室に預けて授乳だけしにいくスタイルを希望した。助産師さんは笑顔で了承してくれ「ゆっくり休んでくださいね」と言った。
「すみませんが宜しくお願いします」なんだか自分だけ頑張れていないような後ろめたさを感じながら新生児室を後にする。それでも昼夜問わず3時間に1回新生児に伺い授乳をする日々なのである。ついさっきまで車椅子で移動していた人間が。740ml出血した人間が。普通にしんどかった。持って来たSwitch2(ポケモンレジェンズZ-A)や漫画(スティール・ボール・ラン)を開く余裕は結局一度も訪れなかった。これが「ゆっくり休んでください」のスケジュールだなんて信じられない。私の顔はずっと青白いままだ。私の知っている「ゆっくり休む」はもうこの先訪れないのか。と、なんとなくその時に諭した。
 

 
1日目、2日目の授乳は行く度にスヤスヤと良く寝ていた。私も旦那さんも「よく寝る子だった」と親から聞いていたので、ふむ我が子は良く寝る子なのだなと根拠もなく確信した。身体も大きいし、よく寝てよく飲みよく育つのだと。
しかし3日目に新生児室に向かった時、助産師さんが「3時間おきにしっかり泣くようになりましたよー♪早いですね」と声をかけてくれた。我が子泣くようになったのか!その時は早く声を聞いてみたいなと、むしろワクワクした気持ちだった。ちょうどこの日は家族がお見舞いに来る日。それに合わせて母子同室を始めた。部屋に来るなりふやふやと泣き始め、あやしてみても置くと直ぐに泣いてしまう。あれれ今授乳をしたばかりなのに何故だろう。私の頭は「3時間に1回30分〜1時間ほど授乳で起き、終わると再び眠る」をすっかり信じており、授乳が終わっているのに泣いているだけでどうしたらよいのかわからないのである。幸い家族がお見舞いに来てくれていたので、母や義母が懐かしみながら慣れた手つきであやしてくれた。「お見舞いに合わせて起きてくれてありがとう。」義母が言ってくれたその感性が素敵だなと思った。
 

母と私

だがコロナの影響がまだありお見舞いは30分まで。早々に帰ってしまった家族たち。いよいよ2人きりになってしまった。かわいいけれど、爆弾が隣にあるみたいな気持ちだった。どう扱っていいかわからないし、いつ泣かれるかわからないし、泣いたらどうしたら良いのかわからない。3時間に1回のきっちりとした授乳サイクルの院内で、我が子は1時間を待たずに大泣きし始めた。まだミルクはもらえない(相談したらもらえたのかもしれないが、頭が回っていなかった)。とりあえず開通して間もない我がパイをあげてみる。お互い初心者の為、上手く吸えずに試行錯誤して汗だくになった。一所懸命吸い始めても、離すと直ぐに泣いてしまう。スクワットをして揺らすとなんとか泣き止むことがわかったので、次のミルクの時間までゆらゆらしながら持ち堪え、時間になるとすぐにナースコールを押してミルクを注文した。
 
そうやって、ミルクが終わっても我が子が寝ることはないまま次のミルクのサイクルを迎えることが何度もあり、既にマニュアルにかいてあった「3時間サイクル」を羨ましく思う。その日は結局揺れながら片手で夕飯を食べ、夜になっても構わずそれは続き、明け方になった頃、力尽きたようにスヤスヤと眠り始めた。コットにそっと置いても続く寝息を聞きながら、音が立たないように泣いた。私は1時間くらいで起きてしまったが、それでも寝息が続いているのを聞いてすごく安心したことを覚えている。
 

 
結局、36時間で私の母子同室は限界を迎え、夕方に「ご飯を食べてシャワーを浴びたい」という言い訳を添えてそのまま朝まで預かってもらうことにした。0時までは授乳に通った。その日最後の授乳前後で体重を確認すると、母乳が60ml出ていることがわかった。助産師さんが驚いていたので、結構いい感じだったんだと思う。母子同室は本当に辛かったけれど、あの頻回授乳のおかげで、私のパイは無事しっかりと開通したようだ。
 
そうこうして迎えた退院の日は「退院着を着せる」「泣かないで外に出る」「出る時間までにお腹を満たしオムツを変えておく」「自分の準備をする」という過密スケジュールで退院の何時間も前から段取りを組んだ。
そのおかげもあってか、ミルクを飲んでも寝ない我が子がその日はコテリと眠ってくれ、滞りなく退院の手続きが済んだ。
 
お世話になった助産師さんにお見送りされ、10日間ぶりに外に出る。空気が冷たく、丁度季節の変わり目ということもあり、10日の間に秋は冬になっていた。
登録していたキッズタクシーは、病院の前で退院の記念撮影までしてくれた。私は朝しっかり髪も梳かしたし、化粧もしたつもりだったのだが、撮っていただいた写真に写っている自分はびっくりするくらいボロボロだった。笑顔が引き攣っている。これが私の出産記録である。全く以てキラキラしたものではない。
 

 
結局この日は、心配していたタクシーでもずっと眠っており、家に着いてからも数時間眠り続けていた。旦那さんと拍子抜けしたみたいにベビーベットを覗き込んで日が暮れた。天使のようにかわいい寝顔で、見るだけで2人して笑顔になる。
 

 
3.
新生児期の話。
 
退院翌日からはやはり慌ただしい日々が始まった。それでも母子同室ではひとりでやっていたことを旦那さんと2人で出来るので入院中よりずっと楽だったし、何よりひとりじゃない事で心が軽くなった。
 
ただ退院後は産後ハイというやつなのか、身体はめいっぱい疲れているのにほとんど眠れない日々が続いてしまう。2人でなんとかやっていた生活でも疲労が蓄積されていき、うまく寝てもらえずに6時間程抱っこをし続けようやくベッドに置けた時に自分もべたりと床に転がり込んで泣いた。もうダメだと、グラグラした頭で産後ケアのアウトリーチに問い合わせをしたところ、夜の22時にもかかわらずすぐに返事をくれて、翌日来てくれることに。それだけで少し安心できた。ありがたい制度。
 

産後ケアのアウトリーチでは、母子手帳をしっかり見てもらった上で、予定より9日もゆっくりしていたから、他のお友達よりも大人なのかもしれないね、と体重から適切なミルク量を再度計算してもらったり、さまざまな面でアドバイスをもらい、翌日から少しずつコツを掴んでいくというか、傾向と対策がなんとなくわかってくる。それが「我が子はもう夜にがっつり寝て昼にピカピカ元気な大人サイクル新生児ちゃん」で「身体が大きく食いしん坊なのでみんなと同じ一般的なミルクの量だと少ない」ということ。
 
なので、幸い、家に来てから今まで「夜の対応が大変だった」ことは1度もない。その分昼間に何もできなかったのだが、それも友人から教えてもらったネントレで改善が見えつつある。
 

犬と新生児と私。ベビーベッドに置けずに苦戦して床で添い寝を少しした

 
新生児期のぴよログはこんな感じ。
 

退院1週目のぴよログ

夜はしっかり3時間起きくらいに起床。そして昼は細切れ。この時から夜通し寝ている日があるが、新生児なので3時間おきにミルクはあげている。寝ながら飲んでいる感じで、夜通し睡眠マークになっている時は寝かしつけはなし。日曜日の9時間が一番つらくて、この日の夜に産後ケアを予約した。
 

退院2週目のぴよログ

先週よりもトータルの睡眠時間は減っているが、夜の睡眠時間がまとまってきた&午前中は二度寝してくれることが増えて来た為、体感的には先週よりも過ごしやすかった。産後ケアでアドバイスをもらったおかげもあるかもしれない。
 

退院3週目のぴよログ

さらに夜にまとまって寝てくれるようになった。かなりサイクルがあるように見える。また、この週はかなりお昼寝をしてくれるようになったので前回のブログを書くような時間ができた。心にもだいぶ余裕が出た週。
 
4.
サイクルができたかな、と思ったら元に戻ったり、まさに3歩進んで2歩下がるような毎日だが、子の成長、慣れてきたこと、スキルアップしてきたこと、色々な面で少しずつ楽しむ余裕が出てきた12月を過ごしている。11月の私たち(お子も含めて)、本当に頑張ったと思う。今になって思えば、お子も寝づらかったりずっとお腹が空いていたり大変だっただろう。

まだまだ日々に余裕はないけれど、過ぎてしまえば二度と戻らないこの日々を味わっていこうと思う。生まれてきてくれてありがとうと、毎日思っている。
 
●今日のご飯
朝:ベースブレッド(プレーン)とバター
昼:グリーンカレーカップヌードル
夜:青椒肉絲
 
●今日の一曲
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お子が産まれて1ヶ月 出産〜入院期の雑記

1.

入院中にお友達にお世話してもらっていたムー

2025年11月6日、予定日より9日超過したのちに、無事第一子を出産した。3890gのビッグガールちゃん。
予定日の健診時から推定体重3500gと言われていたので、予定日を超過したあたりから「私これ産めるのかしら」と不安になっていたし、お腹にピキリと線が入っていき、ついに妊娠線が出てしまったことを非常に惜しく思うなどしたが、何はともあれ、誘発入院をして3日目、無事生身の我が子をこの世界に解き放つことが出来て一安心。妊娠線はショックではあるけれど、せっかくだし上からタトゥーでも入れちゃおうかな、とか考えているところ。
 
出産時に発熱をした為、私がその場で我が子を抱くことは叶わなかったが、代わりに旦那さんが抱いてくれたのを見守った。この人の子供が欲しいと思って、3年半の月日が経っている。ようやく会えた。こんにちは。これから宜しくね。
 

 
産まれたてってもっと宇宙人みたいとか、ぬるぬるで紫色とか、そういうのを想像していた(バカリズムもそう言っていたし)が、我が子の場合はだいぶ仕上がった状態で出てこられて、なんだかものすごく普通に人間の赤子だった。目もぱっちり開いていて、微笑みながら「うーん」と言って泡を吹いていた。だいぶ貫禄がある。あんたぁ頼もしいよ。強い女になるわ。
 
2.

産後の腕。全く記憶のない大きな痣

出産の話。
 
陣痛の痛みのこと、実はもうあまり覚えていない。都合の良い脳みそで助かった。私は無痛分娩を選択したが、経験した無痛分娩は10の痛みを6くらいにしてくれるような効き具合で、本当に我慢出来なくなった時に手元のボタンを押して麻酔を投与できるお守りみたいなもの。つまりどれくらい効かせるかは自分の匙加減なので「無痛」とは程遠い痛みをしっかり経験したが、私にとってはそれがすごく良かった。
 

促進剤でやっと来てくれた子宮収縮の波(陣痛) NST

誘発分娩3日目の出産だった為、陣痛の痛みが遠のくのが怖くてあまり効きすぎるのも心配だったし、うまくいきめなくなったら嫌だと思っていたので「これがあるから大丈夫」と思いながらボタンを握りしめて痛みに耐える使い方が丁度良かった。
 
麻酔のチューブを入れる時も全く痛みはなかった。麻酔の先生は腰の曲がったおばあちゃんでベテランの安心感。素早い施術と淡々としたチェックの後「それでは。無理せず、ボタン、押しちゃってください。」と言って去っていく、格好良すぎる。必死にお礼を伝えた。嫌なことが何一つなかったので、私は無痛分娩を選択して本当に良かったと思っている。
 

ごはん。全部おいしかった!うれしい!

出産当日、一番記憶に残っているのは「いきみ逃し」というやつ。
子宮口8センチくらい、陣痛の後半は、例えるなら信じられない程の猛烈巨大なうんちが自分の意思を以て外に出て行こうと尻の門を思いっきり叩いている感じ。「いきみ逃し」はそいつを出さないように力を抜くという技。教えられたように呼吸をしてみたり、尾てい骨のあたりをベッドの柵に押し付けてみたり、拳でお尻を殴ってみたりしてやり過ごすが、内側からの「外に出るぜ」という猛烈なアピールは私の意思では直ぐにどうすることも出来なくなった。いやいやこれは、いきんでるのは私じゃない、別の誰かだ、止められないよ。ナースコールを押して「もう我慢できませんケツが勝手にいきんでます」とめちゃくちゃに泣きついた。
 
泣いている私を他所に助産師さんはゆっくりと「一応見てやるか」くらいのトーンで私の股に手を突っ込む。が、程なくして「あ」と意外そうな声を出し「子宮口ね。全開ですよ」と一言。辛い辛い我慢の時期は突然終わりを告げ、私のお尻はこれから心置きなくいきむことを許された。
待ち望んだ子宮口全開。これでようやく分娩室に移動できるし旦那さんも呼んでもらえる!と思いきや、その場で自ら足を持ち股をおっ広げる指示を受ける。ここは陣痛室。カーテンで仕切られているとはいえ4人部屋。横からは別の妊婦のNSTのドクンドクンという音が聞こえる。助産師さんは「まだまだ先は長いです」と2度3度いきみ方を教えてくれた後に「また様子見にきますね」と出ていってしまった。ええっひとりでいきむの…!?想像と全く違う子宮口全開後の流れに驚きながらも、陣痛の波は待ってくれない。教えてもらったタイミングで1人でいきんでみる。すこし虚しい。
 
1人でいきみ続け、何度か助産師さんが来ては一緒にいきんでくれて、2時間くらい経った頃にようやく「そろそろ分娩室に移動しましょう」「ご主人に連絡しますね」のGOが出た。子宮口が全開になった連絡を最後に送れずにいた携帯を見ると、落ち着かずに家から病院まで歩いて来ていた(徒歩の距離ではない)ようで、もうすぐ近くに居るとのこと。
 
念願の分娩室には聖母マリア像があって、病院らしくないオレンジ色の電球が点っていて、広い部屋の真ん中に分娩台がドカンと置かれていて、神聖だなと感じた。移動して直ぐに旦那さんが到着し、顔を見た瞬間に安堵で涙が止まらなくなってしまう。買って来てくれたウイダーinゼリーを少し飲んで、ストローが刺さった水を飲ませてもらって、先生や助産師さんの「上手い、上手い!」の掛け声を真に受けふんばり続けた。
クライマックスが近くなったのか、助産師さんが讃美歌のような音楽をかけはじめる。自分が聖なる何かになったみたいで面白かった。「なんかいいっすね〜」って言ったと思う。頭が出て、肩がつっかえて、先生が手で引っ張ってくれて、最後はズルン!と我が子を産むことができた。
 
出血量が多かったことや麻酔の影響もあり、出産後はしばらく震えが止まらなかった。陣痛の痛みはもうあまり覚えていないけれど、会陰切開の傷を縫われている痛みはしっかり覚えている。もういきめなくなる心配はしなくていいので、出産の時よりも気軽に麻酔のボタンを押した。
 
お子を見れたのがもちろん一番嬉しかったが、テンションが上がったのは胎盤を見せてもらったこと。10ヶ月お子を育ててくれた分身。大きくて立派な臓物。とってもかわいかった。長い間ありがとうね。(別に全然食べたくはない)
 
3.

入院中の娘

出産直後の話。
 
産後は車椅子での移動となった。
出産したのが21:59。まだお子を触れていなかったこともあり、翌朝6:00の授乳に新生児室へ行くことに。こんなにヘトヘトで早朝6:00とかマジかよ。。と思ったのが本当のところ。だが条件反射で「行きます」と言ってしまったので5時半には迎えが来て、車椅子に乗って新生児室へ連れていってもらった。
 
早朝の新生児室は、異様な光景だった。
私のように車椅子で来ている人、点滴を転がしている人、ものすごく歩くのがゆっくりな人。誰が見ても「満身創痍の人」たちが自分の身体を引きずって子供におっぱいをあげに来ている。ああ、これが子育てなんだ。とその様を見て、戻ってこれない場所に来てしまったんだなぁという気持ちになる。
 
それでも6時間ぶりに見た自分の子供は神々しく、顔を見てまた涙が出た。
とりあえず、この日から、私は親になった。
 
●今日のご飯
朝:ベースブレッド(オレンジ)
昼:らぽっぽ木の実パイと牛乳
夜:これから

●今日の一曲
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思い出の回収をしていく(徒歩)。デカフェとアーモンドミルクのラテ。


1.
ムーちゃん(柴犬6歳女の子)は犬の友達が少ない。
大体の犬のことは苦手だが、近所に仲良くできる子がひとり居る。その子は目が見えないダックスフンドの男の子。
 
その子には一度も吠えたことがないし、いつもお尻を嗅いだり顔を嗅いだりお尻を突き出して「遊ぼう!」と誘ったり回ったり、興味深々に様々なちょっかいをかけている。
 
飼い主のおばさんは「この子ね柴犬とは相性が悪いんだけど、ムーちゃんは大丈夫なの。ムーちゃんが優しいからだね」と言ってくれるのだが、私は何度か彼が犬集会の中心となって大小問わず多種多様なおいぬの皆と仲良くしているところを目撃したことがあるので、優しいのは確実に彼の方だろう。若しくはおばさんの優しい嘘だ。
 
朝のお散歩中、おばさんが外にでるタイミングと重なり久しぶりに挨拶ができた。私のおなかを見て「赤ちゃんがいるんだね」と声をかけてくれた。「そうなんです。ムーちゃんがお姉さんになります」と笑って言うと、おばさんはいつもの口調で「優しい子になるね」と言ってくれた。なんでも無い会話だったと思うけれど、とてもうれしかった。うん。ムーちゃんは優しくていい子だ。
 

2.
大人になるってなんだっただろうか。正しい判断を冷静に出来ることだろうか。過ちを犯さないことだろうか。隠し通せることだろうか。許せることだろうか。人の行動に惑わされないことだろうか。心が揺らがないことだろうか。感情の起伏が穏やかなことだろうか。余裕が持てることだろうか。それって楽しいんだろうか。どうとも思わなくなったら、なんでもどうでも良くなって私が何者なのかすらわからなくなる気がするから、許せないことは許せないままでも大人で居ていいのだろうか。けど、それって、どうやるんだっけ。
 
だから言葉があるし、歌があるんだな。
 
守るものができても、大切なものがあっても、自分の気持ちは自分のものとして持っていけますように。
 
人生は急にぎゅるんと変わるもんじゃない。ゆっくりじっくり時間をかけて、気が付いたら歪んでいることの方が多い。その結果に誰の自覚もないことだって沢山ある。それは、不誠実よりも確信的よりもずっとどうしようもできない残酷なこと。

 

●今日のご飯
朝:スタバのアップルパイとアーモンドミルクラテ
昼:ベーグル
夜:これから

●今日の一曲
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10月末に子供が生まれる予定なので総括しておく

1.

2025年、久しぶりの投稿。
 
今年の2月に人生初めて「推しのチェキ会」という催しに参加し、恍惚とした表情で「私が手でこのように半分のハートを作りますので、どうか全力で拒否をして欲しいのです」と伝え、「なにそれ?」と言われながら無事「片思いハートより拒絶された写真」を宝物のように持ち帰った数日後。
自分のお腹に小さい命が着床していることを病院で確認した。

実に縁起がいい人生初チェキ会となった。一生の思い出にする。葉月さん有難う御座います

 
不妊治療の結果だったので、一般的に病院に行くより少し早く、血液検査でhcg600という数値を見ての判定だった。結婚したのが2018年10月。結婚7年にして初めてニンゲンのお子誕生ということになる(計算合ってる?)。小さき魂、変な家庭に来てくれてありがとう。
 
結婚の先に妊娠・出産・子育てというルートがあるのは当然理解はしていたし、興味が無い訳ではなかったが、そんなことより仕事でやってみたいことがまだまだ沢山あって「子どもを産む前にやってみたいことをやらせてくれぃ」と5年務めた会社を退職、キャッチコピーは「俺より強いやつに会いに行く」の心意気でフリーランスとなり2社大手のお仕事を身近でお手伝いさせていただく期間を2年ほど。刺激的で出会う人に恵まれた幸せな期間だったと感じていて、自分の人生の宝物になっている。ので、「そんなことしているからどんどん時期を逃したんじゃないか」とか、よぎらなくも無かったけれど、誰になんと言われようと、あの時の私の判断は一生私が肯定してあげようと思う。

現職に正社員として雇用していただいたのは2020年12月。
ピルの服用を停止し「我々は子どもを望む人生でいいんだな」と夫婦で目線を合わせたのが2022年4月。
4月という区切りの良い月からはじまり、1年毎に新学期と言わんばかりにステップアップをしていったので
2023年4月からは通院を開始し(途中に半年ほど通院を休んで漢方療養に移行してみたりもした)
2024年4月からは高度不妊治療を開始し、最終的に採卵2回、移植3回を経て2025年2月に陽性判定となった。
 
交友関係の狭い私ですら、もっと長い期間闘っていた方も、今も尚闘っている方も身近にいるので、決して全くレアなケースではないと思っている。
けれど、この沼に、スポンッと埋まって抜け出せなくなった約3年間は、先の見通しが立たず、仕事や趣味など意欲を集中させていた他のことが身に入らず、ただ毎月、賽の河原で石を積んでは壊されるみたいな日々だなぁと思っていた。
 
在り来たりというには余りにもズカーンと重い試練だった。人生はかなしいことが当たり前に沢山ある。そいでもって、現世は選択肢があり過ぎるので、自己実現に一所懸命になっているとあっという間に妊娠出産の難易度が上がっていく。

「できたらでいいね」から始まった我々にとってささやかな願いの活動は、結局叶わなきゃ辞め時がわからず執着していくのだと。一度入ってしまった沼から抜け出すのは簡単ではなくて、口では「もういいかぁ」と言ってはみても、何をしていても意識のどこかについて回る。うまくいかない時に原因を探して傾向と対策を打つのは社会人生活ですっかりしみついて居るものだから、どうしても「これが原因なんじゃないか」とか「次はこれを気を付けてみよう」とか考えている。こんな本能から離れた活動になってしまっているから上手くいかないんだろうなぁと、ますます自分を責めるきっかけも増えていく。

勉強や仕事や様々な活動は自分がやる気になった時から、やればやるほど何かが見えてきて、前に進んでいく感覚が楽しいものだが、妊活は全くPDCAが回せなくて日に日にどうしたらいいかわからなくなっていった。「生活が不規則だからだろうか」と副業の手を緩めたり、「不摂生かもしれんなぁ」とご飯をしっかり食べるようにして身体がどんどんプニプニしていったり、筋トレの楽しさに目覚め始めた頃だったのに「過度な運動はあまり良くない」という何処の誰が言ったかもわからない情報にドキドキしてジムを退会してみたり。途中目眩が出たりもしたので、無意識下にストレスを感じていたんだと思う。

自分の好きなことが活動に悪影響のような気がして、両手に溢れるほどに感じていた好きなものと次々距離が出来ていった。というかなんか気になって楽しめなくなった。ボーッとしていれば自然と涙が出るし、色々なものを手放して心がちいこくなっていく。あーあ男が産んでくれりゃいいのになぁ、と、別に何も悪くない隣人を羨望するような目で見てみたり。それでも明日も7時に病院に行って注射を打つのは私なので。採血だけで気分が悪くなっていたのは今は昔、もう自分で注射もブスブスさせますことよ。大概のことは想像で具合が悪くなっているだけなので、あたまの中で陽気に「うんこちんちん」って唱えていれば大丈夫になる、という技をこの3年で習得した(金縛りもそうやって解いている)
 

 
通院を辞めてみた時期も半年ほどあって、良く言われる「活動を忘れて楽しむと良いよ」みたいなこともやってはみたが、私たちの場合は相変わらず月に一回鬼が石を壊しにきてあっという間に半年が経った。その期間も別に全然楽しく無かったとも言える。本当に忘れていいならシーシャを吸いに行かなきゃいけないし、夜の街に繰り出さなきゃいけないし、朝までなんか創作して目ギラギラ胸ドキドキしてなきゃいけないし、くそみたいなご飯で日々を生きなきゃいけないし。
 
自分の心がハッピーになる生活が命を迎える活動にあまりにも向いていない気がして、忘れて生活をすることは出来なかった。でも、今の自分と同じくらいの年齢からスタートして3人子供を産んだかっこいい知人は「全部泥酔していて覚えていない」と言っていたので、私もそれくらい解放しないといけなかったのかもしれない。陰の者に心の解放は難しかったな。
 
高度不妊治療を始めてからは、お医者様方と一緒になってPDCAを回すので、気持ちが楽になった。もう根拠のない情報に振り回されなくて良いし、お医者様がこれがダメならこれを、と次のスケジュールを提案してくれるので、やるべきことが明確で、久しぶりに「なんか前に進んでるかも」という感覚を取り戻せた。
 
実際、良くない数値も見つけてもらい、それを改善した次のターンで無事ここまで来れたので、まさに「コツコツ一歩ずつ」の結果だったと感じている。私の場合は子宮内の細菌環境(フローラ)を調べる検査で、フローラが97%で問題なし、と思いきやその菌の内訳に何やら攻撃力が高いやつがめちゃくちゃ沢山いて、悪い菌もやっつけるから普段は居ていいけれど、そやつが命の卵たちもやっつけている可能性があるとのこと。確かに私ってぜんぜん風邪引かないなぁ(関係あるのか知らないけど)と思いつつ、一旦抗生物質を飲んで全滅させてから、妊娠にいい感じの菌だけをサプリで育てる生活をしばらく続け、再検査で菌の入れ替わりを確認した後の移植で陽性となった。
 
 
 
そんなこんなで実感も喜びもきちんとせぬままあっという間につわりがやってきて、あれよあれよとお腹が大きくなり、日に日に息苦しくなり、気づけばもう少しで臨月。2025年はお腹の命を大丈夫かしらと見守っている間に過ぎていった。体重は見たことがない数値になった。
 
自分の人生にとってこの3年間は、前を見失ったり何処に歩いているんだかわからなくなったり、本当に自分がしたいことが何だったか見えなくなったり、とにかく不安定でグラグラしていた。思えば短距離の努力でわりかし評価されることが多かったのかもしれない。あんまり経験したことない長さの真っ黒なトンネルだった。
 
だから、今となっては自分にとっても、この家族にとっても、いい経験だったと思える。私たちのニンゲンレベルが弱々なので、これから向かうボス戦の前に経験値積まないと先に進めない仕様だったのかもしれない。末っ子で甘えん坊で自己中で運の良さで生きてきたような2人なので。あれもこれもやりたいなって欲張りだったから、仕方ないね。いい経験だったと思えるけれど、無いに越したことはないとも思っている。悲しくて辛いから。
 
暗いトンネルに長いこと居た成果あってか、妊娠してからホルモン的な原因で意味もなく精神的に不安定になることはほぼなくヘラヘラと暮らしているが、寝起きに死んだ父親のことを想って号泣する、という奇行が3回ほどあった。ホルモンの罠もこの奇行くらいで日中は元気にやっていけているなら大したもんじゃろ、と思ってはいるが、この目覚めは汗もビショビショで心臓もバクバクで胸がとても苦しくて結構つらい。
 
父親は私が4歳の時に亡くなっていて、年齢は38歳。そんなもんで私は小さい頃から何か悩んだ時や辛いことがあった時、天を見上げて父親に相談する癖がある。妊活中も何度か会話をしたし、お墓参りに行ってみたりもした。不安な気持ちの甘える先が無く父親にすがっているのだろうか。大体目覚めは父親に対して「何死んでるんじゃい」って怒っている。もう30年以上前の話なのだからいい加減許してあげて欲しい。私が父の歳を超える日も近づいている。お父さんより沢山の経験を冥土の土産に持っていってあげますので、娘の人生第2期もどうぞ宜しくお楽しみに。
 
無事リリースを終えるまで、何があるかわからないので何も言わないでおこうと思っていたけれど、リリースしちゃったら文章書いていられないかもしれないので、せっかくブログを持っているし、覚えておきたいことだと思ったので、途切れ途切れの集中力の中、2週間くらいかけてこの文章を書いておくことにした。不安だけど楽しみなのだよ。やってこ!
 

お子が出来たら行きたいなぁと思っていた夢眠書店へ。いい空間だったなー!

 
●今日のご飯
朝:ファミマのぼんごおにぎり
昼:これから
夜:これから
 
●今日の一曲
open.spotify.com