1.

毎週部屋の掃除をしているのに、金曜日には部屋が散らかっている。
それは服とか、アクセサリーとか、メガネとか、リップとか、そういう類のものが元の場所に帰れずその辺の床や机の上に無造作に居座っているせい。
実家の自分の家もそこそこ汚かった。はじめて一人暮らしをした家は、そりゃもう気合がいっぱいでお洒落に気を遣って壁紙まで変えたりしていたおかげか、割といつでも綺麗だった。そういう類のものは、すべて帰る場所がいつでもきちんと存在していた。
家を建てて3年。自分の好きな空間の筈なのに、自分の部屋は散らかっている。これは間違いなく怠惰だ。私は顔にへばりつけたそれなりの幸福という笑顔を建前に、2025年もまだ、心の奥底で「なぁんもたのしくねー」と思いながら生きてしまっているに違いない。シングルタスクなのだ。楽しくないタスクのせいで楽しいタスクが入る余地が無い。そんなもんは、2024年に置いてけって決めたじゃんか。でも私は私を責めることもできないくらい、頑張ってきたと思っているし、こうなっちゃうのも仕方がないとも思っているのだよ。何年も何年も浪人してしまった医大生も、きっともう諦める術を無くして執着するしか出来なくなってしまうのだろう。人間は、一度決めたら、走っちゃうものだ。
願いを叶えるためには、あなたが幸せであることが大切です。さて、私が幸せになるためには、其の願いが必要なのです。
此処には究極のジレンマが生じている。あーあ、こんなことになるなら、最初から想わなきゃ良かった。なんて、あとの祭り。知らなかった頃になんて戻れない。
過去に何度か訪れた「本当に辛かった出来事」について。誰にだってそういう時期があることは、だいぶ大人になった私はよくよく理解している気でいるが、それでも当時はご飯が食べれなくなってしまったり、夜眠れなくなったりしたもので、心から自分なりに悩んでいたつもりだった。一方で、すごく安定していた何でもない時期というのもある。
ある日私の母は、すごく悩んでいた私に向かって「でもさぁ、(安定していた時期の私について)あの頃オシャレも化粧もなーんにもしなくなっちゃって、本当に退屈そうだったよ。今の方が生き生きしてる」とヘラヘラ話した。それはもうヘラヘラと、ふわふわと、うれしそうに。
当時は、何だこの失礼なゆめかわ母親は!とプンスカしたものだが、感情の起伏も緩やかになってしまった今の私が、今辛い時期を過ごしながら思うのは「いつもと違う経験をしている」ことそのものが幸せなことで、それは挫折や停止においても「思いがけない経験」のひとつであり、そこに感情の起伏があることは、人生において良いことだと。きっと母親は、若さ溢れる感情のジェットコースターに乗って乱高下している私を見て、そう思ったのではなかろうかと。
目標を決めるのは、ゴールを迎えた時に見える景色が美しいからだけど、見える景色の手前に苦労をしないと、それは「何でもない景色」に変わってしまうのかもしれない。その人の経験によって、其の感動は変わるし、感動は、その人だけのもので、人の良し悪しで測れるものじゃない。
だから、私は多くのみんなが登れる山に登れないことが経験できていて、それはそれでドラマティックなんじゃなかろうかと、割と本気でそう思えている(時もある)。だって安定していた時期の私は、すごく退屈そうだったみたいだから。

不幸を期待しているつもりなんて全くない、いつも一等賞目指してがんばっているし、なるべく幸福でいたいのだってほんとうに本心なんだけれど、どうしたって思い返しても上手くいかないことが多かったし、あんまり上手く生きれない人が歌う歌に救われて生きてきた。器用じゃない友達が好きで、下手くそな旦那さんが好き。だから「なぁんもたのしくねー」ってなっちゃう今も、ひっくるめて大事にできるように、明日も生きようと思っている。
2.
3ヶ月半ぶりに美容院に行った。美容院に行っていないくせに、眉毛サロンに行ったの、本当に意味がわからない。すっきりちゃん。
●今日のご飯
朝:ブルボン チョコあ〜んぱん
昼:A-Licenceのハンバーグ
夜:スープカレー

●今日の一曲
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