日々を味わう。

日々の記録と、食べたごはんと、好きなお菓子と、気に入った言葉と、聴いていた音楽を記録する場所です。ときどき豆柴。柔らかな日々を。

日々は意外と儚い

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1.
実はブログを書いていない間に家購入の手続きを済ませた。(購入とはいっても、いっちょまえの住宅ローンだ。)
前々から話はしていたのだけれど、なんやかんやとタイミングが重なって今年の3月に契約をした。
が、詳細は伏せるけれど、近年のご時世的な色々があって、入居はもしかしたら来年になるかもしれないとのこと。
購入に際して、賃貸の契約を解消して我が実家に仮住まいをさせてもらっている。旦那さんは期間限定のマスオさん。
のハズだったが、予想以上に長い期間お世話になることになりそう。
家には母ひとりしかいないし、部屋は余っているので、賃貸に住んでいた頃よりもスペースは保てている。
私としては、母の顔が毎日見れるので有難い期間でもある。
母は自由な放任系で日中は働いているし、お互い程よい距離を保ちながら、今の所大きな問題なく一ヶ月が過ぎたと思う。

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自室に貼ってあった毛皮のマリーズのポスター。壁紙はお星さま柄

社会に出てすぐ実家を出てしまったので、自分の部屋で暮らすのはとても久しぶりだ。
2人のお兄ちゃんとお母さんと私の4人で毎日騒がしく暮らしていた実家は、気付けばかなり年季が入って、色々なところがボロボロだ。
今は母以外住んでいないので、使っていない部屋はすっかり人の気配がなくなっていた。立て付けが悪くなっていた窓を開け閉めしていると、なんとも言えない気持ちになる。

父は私が4歳のときに癌で亡くなったので、基本的な記憶は家族4人だ。
でも兄2人は超シスコンでいてくれたし、私もど級のブラコンだったので、「父がいなくて寂しい」という思いをしたことがなかった。
だから家族が欠けていた自覚が全く無かったし、私は愛情をいっぱい受けてとっても幸せな子供時代を過ごせたと思っている。

でも、兄は私よりはもう少し大人だったから、父がいなくなってきっと寂しかっただろうな、と今になって思う。
妹がいるせいで、「お父さんの代わりに面倒みなきゃ」という気持ちでがんばってくれていたのだろう。

そう、それで、ガタガタの窓を開けて、少し切なくなったあと、ふと、自分の部屋の網戸に穴がたくさん空いている事に気がついたのだ。
よくよく思い返せば、いつぞやのバカな私が暇つぶしで携帯なぞを弄りながら手持ち無沙汰でブスブスと指をぶっさした形跡だった。ここから蚊が入ってしまって夜眠れなくて大変だった。昔の私へ、あんた本当何なのよ。

というわけで、網戸のメンテナンスを父の親友に依頼した。父の親友は実家を建ててくれた人だ。
何年ぶりかに会った父の親友は(昔からイケメンだな〜と思っていた)相変わらず顔がかっこよかったけれど、髪の毛は真っ白になっていたし、クチの悪い饒舌なイメージだったのだが、今日はただ優しく微笑んだ。
「元気?」という問いに私は元気ですと返し、あなたは元気かと尋ねると
「なんか最近そうでもないんだよね」と、年齢らしい身体の不調を教えてくれて
私は胸がギュッとなって心配になり、どこが気になるのか、病院には行ったのか、いつからなのか、そういうことを色々と聞いた。
うん病院は行ったよーとか、ハハハと笑いながら網戸を直してくれる父の親友の背中は、いつか見た「ヤンキーっぽいおじさん」のイメージからは遠く、小さく感じた。
父の親友は、父の親友なので、なんとなくイメージを重ねてしまうところがあって(親友がヤンキーっぽいおじさんだったのだから、当然うちの父もヤンキーっぽいおじさんだったんだと思う)
なんだか突然「ああ、お父さんが生きていたら、こんなふうに、背中がちっちゃくなっていたのかな」と思い、
諸々の作業が終わり「ありがとね〜ちゃんと元気でね〜」と元気よく手を降ってドアを閉めたあと、ボロボロと涙がこぼれてしまった。

父は、とても無念だっただろうと思う。
記憶の限り、父はむちゃくちゃへんてこなやつで、ユーモアがあって、笑顔を忘れない人だった。そうだったんだと思う。
きっとおばさんになった娘も見たかったと思うし、息子の音楽を聴きに来たと思うし、孫の顔を喜んだと思う。
私だって、白髪になった父を見てみたかったし、少し動きが鈍くなった父に優しく接してあげてみたかった。
それに、親友と身体の不調について自嘲したりしたかっただろう。
現実はそうじゃない。けれど、いない分、私達はずっと父親の影を感じて生きていくことができた。
それは、はたから見たら悲しいかもしれないけれど、私達にとってはとても心強いことで、間違いなく支えだった。

幼少期に父をなくして、人の命の当たり前じゃなさを無自覚のうちに自覚していて
その後、10代のうちに大切に思っていた友人とのお別れも何度か経験して。あっという間にプツリと糸が切れてしまうことを少しだけ理解した。

だからこそ、好きだと思える人と目を合わせて話ができることはとても嬉しいし、その人が生活をしているだけでたまらなく愛しく思える。悩みも、喜びも、全部生きてる証で尊い。それは、経験がなかったら思うことが出来なかった感情なのかもしれない。

先のことなんて誰にもわからないし、一所懸命堅実に、計画的に生きようとしたって、病気になってポロっと死ぬことって実は意外とあったりするし、ポロっと心が壊れて動けなくなってしまうことだってある。誰にだって全然あり得る話。

だからさ、やっぱりなるべくギスギスしないで、自分と、好きな命のために、一所懸命笑って、やりたいことして、生きていくしかないんよね、と思っているよ。
私の近くには、いい音楽をつくるひとがいて、しっかりビジネスする人もいて、表現に身を捧げる人もいて、子供を育てる人もいて、サラリーマンする人もいて、みんなまだまだ悩んでいて、そんな好きな人達がいて、たまに話ができて、ワハハと笑って、また自分の人生は自分で考えて歩いていって。
失敗しても、成功しても、ダメになっても、調子づいてても、愛しているよ。ほんとにそう思う。
生きることは切ないんだけれど、でも誰かが生きていることを見れるのはとても尊いこと。命を断絶されるのはとても悲しいけれど、誰だって終わりに向かっていること。将来のこととか、事あるごとに色々考えるけれど、「今の自分がどう生きたいか」という気持ちは、これからどう人生が変わっても大事にしていきたいし、隣にいる人にも大事にし続けてほしいのです。



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●今日のご飯
朝:食べなかった
昼:クリームチーズの卵焼き、キャベツのサラダ、ミートボール
夜:えのきの卵とじ、キャベツのサラダ、そら豆、カレーひとくち貰った